恋愛

2007年11月11日 (日)

紫雲

こしの未来から
この腕の中へ
孕みきれずに通り抜ける風
逡巡の末に口をついた言葉は
よるべなく
冷えた石畳へ滲み込んでいく
たった十五センチの命


声が 風にのるのは
あとすこし
空気が澄んでからのこと
知らぬ間にしなやかに射抜かれた
僅かな胸の血で木の葉は紅く染まり
一枚ずつ色づいて
それもまた
ひらひら、と風に舞う

そのいさぎよさが欲しい


ふたりになる
ことで
いつしか色彩を帯びはじめた孤独
一秒とて同じ色はない
日暮れの空の低いところに
飲み込んだため息のような
うすい半月が
放たれて


はるか遠く あるいは近く
紫にたゆたう雲
その下に降る雨は
永らえた なけなしの冷静に似て
視界の隅に 執拗に馴れ親しみ
見送りつづけてきた時間の発露


とても静かな
とどまる景色のはずれで

濃縮されたしずくが滴り落ちる

草木の、アスファルトの、灯りの、その気配の、


燃え残る夕日に透けた
ちぎれた胸の
今はない輪郭を見ている
流れてしまった半身のわたし
浮かび上がるもう片方の影が
いずれ降りつもる宵闇にとけて
思うだけは自在でいさせて、と
ただそれだけを
口にする間さえもたないとしても



Torenia4
Torenia3
Torenia2
Torenia5

++++++++

あー、気がつけば今年も残すところ1ヶ月半 (゚o゚☆) ナント! あんまり体調もすぐれず、ぼちぼちいくしかないようです。
べつにね、いーんだよね、大富豪になりたいわけじゃなし。人に崇められるような名誉を特に得たいわけでもなし。

8月に撮影したトレニア。別名は”夏菫(なつすみれ)”とか”花瓜草(はなうりくさ)”。可愛い花。去年も今年も何枚も撮っちゃいました。
花言葉は「温和、可憐、愛嬌」。

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2007年9月 1日 (土)

金魚鉢

たしの金魚鉢には
ガラスのおはじきが入っているだけ
靴箱の上でうっすらとほこりを被る

きれいに洗ってよく拭いて
チリンチリンと入れなおし
明かりを消した窓辺に置いた

晩夏の夜気と通りの街灯は
微かな
秋の水分を含み
けれども おはじきが浸るにはほど遠い

それでは わたしの涙でひとつ
両手で抱えた金魚鉢には
一滴の雫も落ちない

干しっぱなしの洗濯物をかきわけて
金魚鉢を冷えた空気にかざす
ヤカンがけたたましく呼んでいる

だから待ってよ
ひたひたにしたいのよ
腕が疲れるまで 底無しの夜空を映し込む

やがて満ち満ちた金魚鉢
表面張力で持ちこたえる水面に
残りのおはじきを ひとつ、ひとつ、ひとつ、

ついに何個目かで水は溢れ
涙一滴で また溢れ出す
手を入れておはじきを全部取り出した

無数の境界線が踏み敷かれて滲む頃

金魚のいない金魚鉢は また
靴箱の上でうっすらとほこりを被る

もうおはじきさえ 入っていない

Ohajiki

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2007年8月23日 (木)

昨日の痕

い空に積乱雲が育ちはじめる朝
目が覚めたら痕跡はなくなっていた

夢じゃない証拠をさがして
扉をあけて外へ出たり
勝手口へまわったり
冷蔵庫をあけてみたり
蛇口をひねったりした
コバルト色した海の水は届かず
森の草いきれも届かず
流れたのはただ
生温かい体液だけだった

明日戦争へ行くという子を
娼婦のふりして抱いてあげた
海底に沈む遺跡のような目をして
充分にうるんだその黒真珠の瞳に
地球の裏側の
小さな太陽を映して

甘く噛めば
甘く噛みかえし
きつく噛めば
きつく噛みかえす
取り乱したのはわたしのほうだった


海は眠らず
いまこそ ありのままの姿をさらし
やさしくない腕をのばして わたしたちを呼んだ
苦しくはないからという言葉に こくりとうなずき
ふたつの体はゆっくりと まわりながら沈んでいく

あけていく夜の終わりが 届かぬよう


中空にそびえる積乱雲が
手負いの人々の声を孕んで いよいよ膨れあがる
ささやきは透きとおったコバルト色の蒸気になって
もうすこし 空のあおさをあおくする
そんなにむずかしいものを欲してきただろうかと
光の中で倒れ込んだ裸のわたしに
昨日の痕は
ひとつ
ふたつ

見ろ見ろ、これがすべてだ、と泣いた


Nozenkazura3
Nozenkazura2

++++++++

♪わたしのぉー おはかのぉーまぁーえでー なかないでくださいー


第二次世界大戦当時を詠んだ、というわけでもないので
冷蔵庫はあってもいいんです…(笑

てゆーかね、さっきまでNHK 『SONGS』徳永英明さんの回を観てました。
30分じゃ短いって。もっと聴きたいって!


++++++++

凌霄花(のうぜんかずら)。橙色というか朱色っぽかった。
中国原産で、ニッポンへの渡来は平安時代と古くから馴染み深い花のよう。
別名を”チャイニーズ・トランペット”というそうです。

凌は「しのぐ」、霄は「そら」の意味で、蔓(つる)が伝って空を凌ぐほど
高く伸びるというのが名前の由来だとか。
花言葉は「豊富な愛情、栄光、名誉、華のある人生、女性らしい」。

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2007年8月14日 (火)

今宵ぼくらは

りのともったキッチンから
作りたてのグラタンの匂いがした
お取り込み中の真剣な顔がおかしくて
ただいまは、たぶん言わなかった

暑いときには熱いものがいいんです
そんな説ははじめて聞いたから
焼酎しかないじゃない、とからかった
あぁ……というのんきなため息を横目に
ぼくは笑って玄関へ引き返し
近くのコンビニで安物の白ワインと思いきや
たまには、と日本酒にしたんだ


今宵ぼくらは
はくちょう座を漂う氷のかたまりで冷酒を呑む
百億年こんな日々が続いたら
夜空は大変革をしいられるだろう
こらえきれない星々は
いよいよこぼれ落ち
ひかえめに瞬きながら
ぼくらの頭上へ降り注ぐ
冷たいしずくは
いつもぼくらの胸をかき乱す
あの蜃気楼をうち消しては
しだいに生ぬるくなっていき
何も請け合うことはできないけれど、と呟きながら
額に頬に降り注ぐ



ころころ笑って

くすくす笑って

ちいさなぼくらは

幻みたいな夕べを過ごした



Agapanthus1
Agapanthus3

++++++++

アガパンサス。ギリシャ語で 「愛らしい花」という意味だとか。
淡~い薄紫色が好みです✿ これもたしか先月撮影。
別名は”紫君子蘭(むらさきくんしらん)”。
とはいえ、紫の付かない”君子蘭”は彼岸花科で、アガパンサスは百合科。
色は白花種もあるらしいです。

茎を折るとネギみたいな匂いがするんだって。
えーなんかちょっと雰囲気違う。
丈夫で栽培しやすい花だそうです。花壇でよくみかけますね。
花言葉は「やさしい気持ち、知的な装い、恋の訪れ」。

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2007年7月24日 (火)

ミルクティのうた

たはじまった
つい泣いたわたしに
そう言ってせせら笑う人
うっかりしてた ブラインドが下りる
もう何も吐き出さないことにする

冗談を言って てのひらをそっとしまう
選んでるつもりなのに
近づきすぎるな 片足を浮かせて
こころ根はティッシュにくるんで
ひなたの風にのせてしまえ


部活帰りに制服のまま
乙女ゴコロと食欲は戦っていつも負ける
ミスドのせまいテーブルの
一輪挿しの花をむしって
ぽとぽと泣いた
あのころも よく言われてたっけ

またはじまった

理由にとどかないわたしの
話にならない話のそばで
一輪挿しに砂糖を入れたりなんかして

あなたが勝ったら寄り道
わたしが勝ったら帰ろう
じゃんけんは たいていあなた
いやならまっすぐ帰ればいいんだし
けれども 右耳はこっちを向いてた
くるしいうたが
ら ら   ら ら ら
いつかのミルクティにとける

Nejibana1

++++++++

芝生の中でらせん状に咲く、懐かしい捩花(ねじばな)。
別名”捩摺(もじずり)”。
捩摺とは、ねじれ模様をつけた絹織物のことだそうです。
花言葉は「思慕」。

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2007年6月27日 (水)

ある旅人のきもち

紙が書けない
聞いてほしいことが山ほどあるのに
ペンを持っても
ただの一行も出てこない

いつでも待ってる
こちらからは連絡しない
でも、もっと利用して
もっとぼくを利用して

使わない機能は退化していく
ない腕が痛むように
存在は消えない
間に合わないのだ
いつも、いつも
自分次第のことはすべて

さっきの風は、
ちっともやさしくなかった
もう行かないと

Tanpopo

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2007年6月 4日 (月)

asian blue

近久しぶりにごくごく個人的な映画熱がキテます☆ 
ちょっとずつバイオリズムの波が上昇中。劇場、DVD等の新旧を問わず。
松ちゃんの作品はどうなんだろう? 大日本人。大佐藤。

新作で印象的だったのは、少し前に観た 『黒い眼のオペラ』。
目立たない単館上映だったけど、DVDかビデオが出たらもう一度観たい。
映像も本当に美しかった。官能的ながら、ささやかで切実で。
北野監督の初期の作品が”北野ブルー”とか言われていますが
アジア映画は個人的にはグレイッシュ・ブルーのイメージ。
この 『黒い眼のオペラ』も然り。
ぬくもりを求めるのに、男も女も関係ないのだ   

香港の 『傷だらけの男たち』も観に行くかも。
ラブ♥トニー・レオン&金城武。ってゆーか試写会当たんないかな。

タイトルは原題でも 『傷城(傷ついた街の意)』っていうらしいけど
なんかさ…予告編とかでもやたらと傷傷傷って言い過ぎでさ…(>_<)
なんかなー。痛みは観る人が感じればいいのに…。
トニーの演技で充分伝わるから、そんなに言わんでよろしいと思います。
あと、できれば主題歌はあゆじゃない人がよかったなぁ…うーん。

思うに、金城さんはニッポンよりもやっぱり香港や台湾や大陸が似合う。
実はコメディタッチの演技こそ彼の持ち味! パイナップル食べ過ぎ。
シリアスな演技のほうは…年輪を重ねてさらなる向上に期待しよう!
それにしても相変わらず綺麗な顔立ちしてるねぇ…絵になる。

トニーはもうギュ~~~~~ッて狂おしく抱きしめたい♥
抱かれてもいい。否、抱かれたいっ! 抱いてくれ頼む !!
インファナル・アフェア』 3部作、好きでした。
これも灰色がかったブルーの印象。
ハリウッドリメイク版の 『ディパーテッド』も観たけどぉー、個人的には
断然オリジナルのほうが好きだった。断然!
アジア独特の雑多な生々しい空気が不可欠な要素だったと思う。
米国の例えば路地裏や場末の店の雰囲気ともやっぱり異なるんだ。

『ディパーテッド』公開時、映画評論家がこんなふうにコメントしてた。
「オリジナルの詩情あふれる世界観はなく、別物として楽しむべきか」。
そそ、それなのよ。
私の感じたブルーの印象は、単語にすると”詩情”ってことなのね…。

もちろん、ただ青けりゃいいってもんじゃないです。

++++++++

今日は紫蘭(しらん)です。

その名のとおり明るい紫色のものを多く目にしますが
うちの近所の公園では、花壇に白い紫蘭も咲いていました。
ん~綺麗…☆ ”白花紫蘭(しろばなしらん)”というそうです。

紫蘭はニッポンの自生種なんだそうです。
下を向いて花開く清楚な姿ですが、とても丈夫ですくすく育つらしい。
蘭って普通めっちゃ手間かけて育てるようなイメージがあるけど
栽培しやすいってのは、私みたいな”
花好きだけどド素人”には嬉しい。
花言葉は「互いに忘れない」。

 行き先を 訊く必要も感じずに 君の匂いと 助手席の日々

Shiran1
Shiran3

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2007年5月26日 (土)

それでも貴方を信じます

だ4回目なんだ。面白い30分番組が始まったなーと思って。
NHK 『爆笑問題のニッポンの教養』。

テーマは毎回違って、様々な分野の最先端の研究者が出てきて
爆問のふたりと対談するんです。わかりやすく実験なども交えながら。
今夜は世界的な社会心理学者との対談だったんですが…
あーびっくり。だって話の中でズバリ常々私が考えていることを
言われたのです。そりゃあもう、ズバッと。
タイミングはともあれ、これも一種のシンクロだ!

 ”安心≠信頼” (←ノットイコール)
 ”人間は、信頼に賭ける動物である”

山岸教授の論理によれば、「まるっきり安心しきった環境においては
そもそも信頼する必要なんてないですよね」というんです。
信頼するってことは、「この信頼は裏切られる結果になるかもしれない。
けれども、それでも私は貴方を信頼します」ってことだと。
つまり、信頼とは”リスクを取ること”だと。


ちょうどその前の時間帯に日テレでやってたジブリ 『紅の豚』でいうとぉ
ポルコVSカーチスの決戦を前に、フィオがポルコに向かって
「信じてるから!」と言う場面なんぞが、まさにそれですよね。
ポルコは敗れるかもしれない。実力は五分五分だった。
でもフィオはポルコを信頼した。リスクを取ってポルコに賭けたわけです。

爆問・太田さんもチラッとこんなふうなことを言ってました。
自分の考えでは、信頼の中に愛情が含まれてるような気がしてるけど
たしかにその論理でいうと、誰かのことを愛してるって強く感じるときって
ケンカして相手とうまくいっていないとか
何かの危機のときだったりするかもしれない、と。

いやぁ私もね、前々からそういうこと考えてたんですよ。マジで。
惚れた相手に対して何を思うかって
「この人にだったら、たとえ裏切られても、たとえ遊ばれても
たとえ見返りが得られなくてもかまわない」。
報われなくてもいいと思えるかどうか。
それをいつも胸のうちに問うているところがある。
信じるってつまりそーゆーことだと思っているふしがある。

今回の番組を見るまでは、この自分の考え方って
なーんか逆説的で、自虐的だし、悲観的というかなんというか
(まぁある意味では純粋ともいえると思うけど…とか言ってみたりして)
どうしてもっとストレートに 「好きだから信じてまーす♥」と思えないのかと
我ながらちょっと嫌悪してたんです。
随分ねじれちゃったもんだなぁ…と。
でもそうか、こうやって筋道立てて例を挙げて説明されると
なるほどねー、社会心理学的にはこういう思考回路も有りなんだ…。

おかげさまで少し気持ちが落ち着きました。

++++++++

今日は、季節外れのクリスマスローズです。

開花時期が違うんじゃない…?と悩みましたが、人に尋ねたりしたところ
ちょっとオクテだけど間違いなかろう、という結論に。
普通 2~3月頃だよね?

ベルのようにうつむいて咲く愛らしい花。
こういうひらひらした八重のようなタイプは初めて見ました。
色はほかにピンクや紫などがあるようですが、この生成りみたいな
微かにグリーンがかった白もやっぱ素敵♥
ほかより遅れて、まるで恥ずかしげに下を向いて咲いているようで
ちょっと親近感。可愛いの~ぅ。

クリスマスローズというのは、狭義では名前どおりクリスマス頃から咲く
"Helleborus niger"という種を指すそうですが
一般には、春咲きの"Helleborus orientalis"という種も含めて
浸透しているようです。
巷では後者のほうが知られてる? 私も早春の花って覚えてたなー。
同じ花でも品種改良が進んだものと原種に近いものとでは
随分姿かたちも異なったりして、ふーむ、いろいろ面白い。

花言葉は「慰め、追憶」。

Christmas_rose1
Christmas_rose2

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2007年4月28日 (土)

bitter memory

の昔、家の近所にとても小さな公園がありました。ベンチが置かれてて。
未だに苦い思い出です。

 昆虫のように泣き腫らした目には 普段以上に星がまたたく (改変)

藤は日本原産なんだって。こういう趣のある素敵な花が日本産と知ると
別に自分が育てたわけでもないのに鼻が高いです♫
枝垂桜とか藤の花のように、重力に逆らわず咲いてなお美しいというのは
古くて新しい理想の”生き様モデル”を見るかのよう。

いや、ただ大人しく従順なだけじゃもちろんないよなー。
強靭な生命力で自ら居場所を求めて蔓(つる)を絡めていく
そのしたたかさが根底にあればこそ。

少し前に撮った写真なので、ここ、今頃はきっと満開かもしれません。
GW中にもう一度行ってみよう✿
訊かれてないけど、ちなみにカレンダーどおりでーす(^^)

藤の花言葉は「歓迎、恋に酔う、陶酔、佳客」。

Fuji

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2007年4月15日 (日)

ぼくを探しに

は何かと顔ぶれが変わったり環境が変わったり
不安と期待の入り混じった微妙にふわふわした心持ちで
地面に足がちゃんとついていないような毎日です。
こんなときも「期待」より「不安」って言葉のほうが先に浮かぶんだなー。

今日の読売新聞の連載小説 『声をたずねて、君に』を読んで
なんとなく昔読んだ外国の絵本を思い浮かべました。

自分にそっくりな男を街で見かけて以来、突然声が出なくなった主人公は
知人の薦めで訪れた古びた病院で、院長から
「あんたのような患者が来るのを待っていた」というようなことを言われる。
院長にはかつて双子の息子たちがいたこと。
双子のひとりが幼くして交通事故で亡くなったこと。
残されたもうひとりはそれ以来声を失ってしまったこと。
その代わりにどうやら声ではない”何か”で他者と会話を交わすことが
できるようになったらしいこと。
筆談に使っていたメモ帳に「かなしい」という言葉を残して
院長が「何がかなしいのか」を問わないうちに、その子も
たった9歳で飛び降り自殺で亡くなってしまったこと。

ストレスなどの要因から失声したのではない様子を見てとり
院長は主人公のことを、「あんたは天(てん=自殺した息子)と似ている」
と言います。
天が双子のもうひとりに声を持っていかれたかもしれないように
「あんたも(街で見かけた)男に声を奪われたのかもしれないな」と。
院長の長い長い話を聞き終え、主人公が会ったこともない天という少年に
思いを馳せるのが今日読んだあたりでした。

不完全な私たちは、自分に欠けている部分を埋める為に”誰か”を求める。
それは恋愛かもしれないし、もっと別の感情、別の形で、かもしれない。
主人公いわく、天少年には生まれたときからその”誰か”が存在していた。
双子の兄弟は互いにそれぞれの欠損を埋めてくれる存在だった。
ふたりでいれば完璧に充足することができた。
<少年の不幸は、多くの人と逆に、満ちていたものが欠けてしまうことから
始まったのだ>   

昔読んだ絵本 『ぼくを探しに』は、パックマンみたいな形の”ぼく”が
自分に欠けた部分、つまり”かけら”を探してころんころんと旅をするお話。
道中、いろんな形のかけらに出会ってはめ込んでみるんだけど
なかなか合うのがみつからないなぁ…と。
そしてついにぴったりのかけらと出会う。
晴れてきれいな円形になった”ぼく”は、喜び溢れてすごいスピードで
転がっていく。

…で、どうなるんだっけ…?(オイ)

そう、それでふと立ち止まるのかなぁ、たしか。
それまではころんころんゆっくりとしか転がれなかった”ぼく”は
道々の草花に目を留めたり、空を舞う蝶や鳥たちに挨拶したり
そんなふうに旅してきたけど
『声をたずねて、君に』の主人公の言うところの”充足”したぼくは
それまで見えていた素敵な景色が見えなくなってしまった。
ぼくは、そっとかけらを置くんですね。
そして元の不完全な形になって、またころんころんと旅を続ける   

随所の薄らいだ記憶は強力な妄想でカバーしましたが
たしかこんなお話だったかと。
昔その絵本を読んだとき、私という人間は
このパックマンみたいなものではなくて
そっと置かれるかけらのほうなんじゃないか、と思ったもんです。
だってぇー、20~30%程度の欠損じゃないんだもーん。
円グラフでいえば”その他”の項目みたいな。
あるいは”回答せず”みたいなさ。そっちが私。

満ち足りているが故の不幸。
持てるものの不幸。
そんなことを考えながら今日の新聞を読みました。
ちなみに、絵本 『ぼくを探しに』には続編もあるそうです。チョー読みたい。
続・ぼくを探しに ビッグ・オーとの出会い』。

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