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2008年9月

2008年9月14日 (日)

荒野へ Into The Wild

日観てきました。ショーン・ペン監督の新作 『Into The Wild』。
公開が待ち遠しく、試写会も結構な数応募したにもかかわらず当たらなかった。でも、入れ換え制の劇場では事前に購入したチケットのおかげで、ど真ん中の最高の席で観れました。

(てか、どーでもいいけど公式HPかなり重たいです…)

ワシントンDC郊外の裕福な家庭で育ったクリストファー・マッカンドレスは、大学を優秀な成績で卒業。ロースクールへの進学も決まりかけていた彼は、卒業祝いに新車を買ってやるという両親の提案を頑なに断り、誰にも、仲のよかった妹にさえ行き先も告げずに黙って旅に出る。学費としての貯金を慈善団体に寄付し、身分証、クレジットカードの類にハサミを入れ、中古の愛車ダットサンでひとり揚々と。
アラスカの荒野を目指す、クリスにとって人生最大の、そして結果的には最後の、最期の旅へ  


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まずですね、これはひとりで観に行ったほうがいいんじゃないかと思います。もちろんお友達、恋人、家族等々、誰かと一緒でもいいけどさ、なんかやっぱり存分に入り込んで観たい感じの作品じゃない? いかにも。

始まって比較的すぐ、Trailerでも流れていた、美しい大自然を前にクリスが感激して目を潤ませるシーンでこっちもウルッときて、それからしばらくは普通に観ていたのですが、やっぱ知らず知らずに入っていってたんでしょうねー。後半になったらなんだか壊れちゃった蛇口みたいに涙がほろほろと止まらなくなりました。

結末はわかっているのに、クリスは死んでしまうことがわかっているのに、「死なないでほしい」と思いました。「いなくなるのは寂しい」と。「なんとか生き延びてほしい」と。「また会いたい」のだと。 "I miss you. I missing you." と。

主演のエミール・ハーシュは今後ますます楽しみな役者さんですねー♥ いい表情してました。青空のような清々しい若さと悲しみ。聡明で繊細な、それゆえの苦悩。そして個人的に私もとても共感したのですが、自分のルーツである両親の不仲や欺瞞は、子供にとって自身の根幹を揺るがしかねない、時には何歳になっても乗り越えることができるとは思えないほどの大きな大きな苦しみであるという、その、なんとゆーかそういうところです。愛されながらも、愛することができない。打ち解けながらも、奥底まで受け入れることができない、とかそういうところ。

唯一のゴールは 「ゆるす」ことだと、たぶんクリスくらい頭のいい人だったら、たとえ旅に出ていなかったとしてもじきに知ったんじゃないかと思う。でもそれは 「頭で」。植木等さんですよ。わかっちゃいるけどって。
いわゆる理性で知るのではなく 「カラダで」実感する生を、自分の存在を、クリスの言うところの 「真理」を、アラスカ行きはそれを得るための大切な旅だったのだと、観ていてなんとなく感じました。そしてついに、求めていたその凝縮したひとしずくのエッセンスを、彼は命と引き換えに知り得たのだと感じました。それはきっと涙みたいなものかもしれない。そんなふうにも思った。

なぜアラスカなのかとか、無謀すぎる、愚かだとか、批判はたくさんあると思う。実際愚かだもの。無茶すぎるし。だけど…。
当時全米がクリスの死に関心を寄せたように、とにかくそそられる。惹きつけられる。無下に 「ただの阿呆だ」とは切り捨てられない何かが。どうしてだろう。自分探しの旅へ出かけたイラクで殺されてしまった日本人のニュースのときにも少し感じたけど、それ以上に強烈に。いったい何の違いだろうこれは?
死因。餓死と殺害。あとは場所。かたやアラスカの大自然の中、かたや殺伐とした情勢下のイラク。それにあの日本人の青年のときはあまりにリアルタイムすぎて、「そそられる」なんて不謹慎なことはとても口にできない雰囲気だった。最悪の結果になってしまう前から、ひたすら自己責任、自己責任の声。青年の無謀さに対する露骨な不快感と、下手すれば嘲笑の向きさえあった。なんなんだろう。国民性の違いだろうか。こんなこともちょっと考えさせられました。


エミール・ハーシュはラストシーンに向けて20kg近くも減量したそうです。その甲斐あったと思うよ。よかったよ、とっても。

ジョン・クラカワーの原作 『荒野へ』は未読ですが、ぜひ手にとってみたい。あのロンじいさんのその後とか、ヒッピーカップルのその後とか気になる。トレイシーはたぶん私と同年代です。みんな今も元気なのかな。

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