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2006年11月25日 (土)

あれやこれや

いっ! ということで、今冬初のオイルヒーター登場。
テンプレートも変えてみました✿

デロ○ギは高くて手が出なかったので、ちょいお手頃な”もどき”を昨年購入。
充分です。あったか~い♫
アトピーとかアレルギー持ちなので、ファンを使わず埃が舞わないというのは
非常にありがたい重要ポイントです。

そのほかにもぉー、ニットの靴下でしょ、レッグウォーマーでしょ、フリースでしょ
寝るときは腹巻きでしょ、もう既に完全防備。
東京っつってもね、都心と都下じゃ平気で2~3℃違ったりするんだから。
特に朝晩なんてなめたらいかんよ。
腹巻きのところで「色気のかけらもねぇーな」と思ったそこのあなた!
風邪は万病の元! インフルエンザも狂犬病も死の病なのよ!
あなどってはダメ!

小学生のとき親戚の家で犬に手首をかまれ、火がついたように大泣きしました。
痛みよりびっくりしたほうが大きかったんじゃないかと思う。
犬とか猫とか飼ったことがなかったので、その犬が警戒した低い声で
「ウーウー…」って唸ってたのに全然気づかず、頭なでようとしたんですよね。
そしたらガブリと。

泣きながら連れていかれた病院で傷口を「縫う」って聞いた途端、さらに絶叫。
廊下で待ってた親戚は「よっぽどひどい怪我なのか」と思ったって。
母親は横でなだめるのに必死。
ヤダヤダ言ってパニクってて、頼むから大人しくしてくれと医者も困ってました。
そのとき、狂犬病のワクチンもちゃんと注射された記憶があります。

なんかさ、いずれは誰もがどんな形にしろ必ず死ぬんだけどさ、
致死率ほぼ100%の病気って…しかも早い時期にワクチン接種を受ければ
防げたかもしれないと思うと…。

急性アレルギー反応の一番重篤なやつ、なんていうんでしたっけ。
アナフィラキシー?
あれも処置がちょっとでも遅れると死んじゃったりするでしょ。

どんなに許せないひどいいじめを受けてても、その苦しい空間から逃れる手は
必ず必ず何かあるはずだから、せっかく生ある身、自ら死ぬこたぁないんです。
周りを全部巻き込んで事をおおっぴらにしてやりゃいいんです。
なんにも気づいてない能天気な大人には知らしめてやりゃいいんです。
子供の自分では考えつかなかった対処法を誰かが教えてくれるかもしれない。
さらに「隠そう、ないことにしよう」なんていう悪い大人がもしいたら、
もっと上のほうに訴えて事態の深刻さを公にしてやる。
そして逃げるときは逃げる(これ大事)。

なんつって。
一度本気で「もう生きていけない。無理だと思う。朝までもたない」
と思った夜のある者の戯言です。
当然ひとりでは立ち向かっていけないからね。精神的に参っちゃってるし。
だからまず誰かに話を聞いてもらって、寄り添ってくれそうな人を先に
探すとよいと思います。真剣に耳を傾けてくれる人を。
親でもいいし、学校の先生でもいいし、友達でもいいし。
友達がいなければ病院の先生でもいいし、誰でもいい。
誰かいるから、絶対。

そして繰り返すけど、何も必ず戦わなきゃいけないってわけじゃないんです。
「この人たち日本語通じない。これ以上関わってたらこっちの身がもたない」
と思ったら逃げる。
逃げると、ろくに事情も知らずに「逃げてないで向き合おう。乗り越えよう!」
とか言ってくる暑苦しいお節介さんがいるんですが、そういう人からも逃げる。
逃げるのは必ずしも悪いことじゃないです。

散々泣いたんです、私。
体中の水分が全部なくなっちゃうんじゃないかと思うくらい泣き続けたんです。
もし近くに「女はすぐ涙を武器にする」とか嫌味を言う人がいたとしても
抑えることなんてできなかったです。
だって泣こうと思って泣いたわけじゃないから。
どうしようもなく溢れてきて止められなかっただけだから。

それで、泣くとヘトヘトに疲れるんです。
脇とか背中とかに汗びっしょりかいてるんです。
すごいエネルギーを使ってるというか、体からエネルギーを発してるというか
なんか、ただただつらくて涙ばっかり溢れてきてひたすら泣いてるときが
実は人間って一番”生きてる”んじゃないかと
上手く言えないけど、あとになってふと思ったりしました。

うーん…今日は話があちこち飛んだのでタイトルをどうするか思案中。

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コメント

そうなんですよね、逃げるコトは私も悪くないと思います。
逃げ込む場所を作っておかないと、どんどんどんどん追い込まれる…。
何が強くて何が弱いのかなんて、誰にも決められません。
いいんですよ、逃げるが勝ちってのもあるじゃん!って開き直っても正解です☆

もうどうしようもなく死にたい、ってのは裏返してみれば、今生きてるって証拠なんですよね…。
体が健康な人が死にたいって思えるってことは実はとても傲慢で贅沢なことなんだ、って私も思うようになりました。
生死について考えられるなんて…明日生きていられるかどうかさえわからない現状におかれている人たちから見れば、とんでもないことです。
先日、遠い知り合いが30代で亡くなりました。(病気です)
生きたいと願う人が死んでゆく。
死にたいと願う人が生きている。
不思議ですね。

長文で失礼しました☆

投稿: | 2006年11月26日 (日) 09時29分

本当に不思議ですね、人生って!
そのときは自分のことを「弱い」とか「負けて逃げるんだ」と思っても、後々考えるとその経験が今の自分を形作ってたりして、つくづくわからないもんだな~と。
寿命も神様のさじ加減なんだろうか…みたいな。

苦しみの渦中にいる子に向けて一般論や相対論でモノを言うことはあまり意味がなく、むしろ逆に絶望感を抱かせかねないというのが、実に難しくて理解されにくいんじゃないかなぁ…と思ったりします。
大人や一歩引いた立場の人からすれば死ぬほどの問題ではなくても、心理的に追い詰められてる子にとっては深刻でごくごく個人的な「私」の問題で、その「私」の苦しみをせっかく頑張って打ち明けても頭から一般論で返されると、子供は自責の念をさらに強めちゃうだけのような気がするんです。善意の意見が結果的にさらにその子を追い詰めるというか…。
弱ってる人間って概して神経が過敏になってるし。

「11日に死にます」みたいな自殺予告が文部省に届いたときから何かを書きたかったけど、なんかうまく文章にならなくて…自然に言葉がわき上がってくるのを待ってたらこんなに日にちが経っちゃいました。

投稿: 薫子 | 2006年11月26日 (日) 18時16分

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